唯一の木村派浪曲師勝千代主任公演企画
- 勝千代 木村
- 2022年2月4日
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私の所属している日本浪曲協会は、設立80周年となります。寄席興行も、このコロナ禍で休演となりましたが、戦後初めての事だとのこと。雨の日も、風の日も、楽しい日も、辛い日も、普通の日も、休むことなく続いてきた木馬亭での浪曲公演。これも、浪曲協会の諸先輩方のたゆまぬ努力の賜物であったと、コロナ禍の今だからこそ、深く感じ入る次第です。続いてきたのではなく、続けてきたのだと。その、代表である歴々の会長の功績を称え、令和4年の木馬亭定席では、企画公演を開催することとなり、皮切りの2月6日(日)に、僭越ながら唯一の木村派である私、木村勝千代が主任を相努めることとなりました。もしかしたら、コロナ禍だからこそ、深い意味のある興行であるのかもしれません。
私は、11歳で木村派の当時、関東での最長老といわれた木村松太郎に入門しました。11歳ですから、入門とは何ぞやと知る由もなく、只、浪曲を覚えて語ることが出来た事で、知らず知らずのうちに浪曲師となっていました。ある民族芸能の方が、「こうゆう世界は、子供が入ってくれば50年続く」と仰っていた事があります。当時、師匠方が私を大切に育ててくださり、今、再び舞台に立つことが出来ますのも、当時の師匠方、そして協会を支え続けた数々の先輩方のおかげでございます。現在、浪曲協会も25歳の若手から90歳の師匠まで50数名、やはり若手の担い手というのは、これからの浪曲界を背負って立つ素晴らしい人材であること、私もまた、諸先輩方にしていただいたように後押しできます様に。
今回は、初代木村友衛会長、木村若衛会長へのオマージュとして、「天保六花撰~河内山宗俊」へと取り組んでおります。この「天保六花撰」は師匠の松太郎の演目の中にもあるのですが、残念ながら舞台での口演には間に合っておりません。数年前に、台本やら音源やらを掘り起こして復刻いたしました。若衛師は、師匠の松太郎著「浪曲一代男」でも、写真、また紹介文で登場し、ご自分を「木村派の後輩」と綴られております。木馬亭にて行われた「木村重松没後50年の会」での舞台写真では若衛師もご一緒に並んでの中に私も収まっております。令和の世になってのこの企画の会にて、木村派の後輩として浪曲口演できます事、「木村派の先輩の弟子ががんばってる」と喜んでいただけます様、また、コロナ禍の中、足を運んでくださるお客様にお喜びいただけます様、懸命に努める次第でございます。
そして、木馬亭への復帰の後押しとしてくださった、いつもお三味線で支えてくださる沢村豊子師匠の糸にて、口演できますことも、唯々、感謝の思いもこめて、努めさせていただきます。

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